幕末・新選組

新選組ってどんな組織?その体制と隊士たちのお給料

新選組の組織と月給

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こんにちは、パーマです!
今回のテーマは新選組の組織体制と、役職者のお給料について!

これまで隊士紹介などで当たり前に「○番隊隊長」と書いています。

これは、一番メジャーなところをベースにしています。

るろうに剣心とかで、斎藤が3番隊隊長って出てくるところですね!

実は、新選組の隊士数は、結成時24名から最大で200名くらいにまで変化しています。
ですので、組織改編も何度かされているんですね。

行軍録という隊士名簿から3度の組織改編が分かっています。
それをベースに、大きく新選組が動いたタイミングでの組織をまとめました!

また、役職者はどれくらいお給料をもらっていたのか!?
それについてもお伝えします!

新選組の基礎知識としてどうぞ!

時代背景などはこちらで↓

新選組を解説!
新選組をやさしく解説!幕末の時代背景も押さえよう!

新選組ファン歴30年の天然パーマが、新選組についてやさしくお伝えします。どうやって新選組は生まれたのか。その時の時代背景は?これからファンになる方向けです。

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新選組の体制!実は何度も再編されていた!

上洛時

清川八郎の謀略に反対して残った居残り組。

これが壬生浪士組⇒新選組となっていきます。
いわば創業メンバー!24名!

試衛館グループ:8名
近藤勇・土方歳三・沖田総司・永倉新八・原田左之助・藤堂平助・井上源三郎・山南敬助

芹沢グループ:5名
芹沢鴨・新見錦・野口健司・平間重助・平山五郎

京都合流組:11名
斉藤一ら

ここから始まる!!

文久3年7月ごろ~新選組になる直前~

大阪にて隊士募集をし、隊士が増えた壬生浪士組。

このときに局長などを据えた体制を作っています。

ちなみに、このとき大阪で力士と乱闘騒ぎを起こしていますね・・・!

元治元年(1864)12月~伊藤甲子太郎入隊時~

将来、新選組を割る男。伊東甲子太郎が入隊します。

彼をいきなり2番隊隊長にしているあたり、評価が高かったことが伺えます。

慶応元年(1865)5月~大幅増員時~

出ました!
これが一番有名なやつですね。10番隊まであるものです。

私のブログでもそうですが、一般的に「一番隊隊長沖田総司」とか「三番隊隊長斉藤一」というのは、このときの編成。

このころは、隊士も増えて130人以上になっています。
幹部に伍長が20人、平隊士は100人程度いた大所帯。

なお、この10番隊まであるものは行軍録として残っているのですが、一説には8番までしかなかったという山崎烝らの証言も残っています。

もしかしたら、短期間でまた改変されたのかもしれませんね。

慶応元年(1865)9月~近代化を模索?~

これは正直なところ、「こんなのもあったのか」という驚きもある組織。
銃の重要性に着目し、大幅な改変を行っています。

この半年前くらいに西本願寺へ屯所を移していますが、大筒(大砲)の訓練も境内でしていたと言われます。

新選組というと剣に生きたというところから、古臭く抜刀隊として突っ込んでいくようなイメージがあるかもしれません。

ですが、新しいものを取り入れる革新的なところがあったんですよ!

とはいえ、本格的に銃を取り入れるのは鳥羽伏見の戦いのあとくらいですが。

慶応3年(1867)12月~油小路の変後~

伊東甲子太郎を粛正。
そして、服部武雄や藤堂平助たち御陵衛士(高台寺派)を粛正したのちの組織です。

すでに大政奉還がなされており、これから王政復古の大号令が出て、鳥羽伏見の戦いへと続いていきます。

戊辰戦争になると、隊士もたくさん亡くなっていくので、組織も何もなくなっていくんですけどね・・・。

ちなみに、わかりやすいように斎藤一と記載していますが、本当は改名しています。

スパイから帰ってきたものの、隊規の都合上「山口二郎」と名乗っていますね。

近藤は月給300万円!?隊士のお給料は?

明らかになった給料事情

実は、新選組のお給料については史料があまりありませんでした。

ですので、永倉新八が残した「新選組顛末記」が基礎にされていたのですが、そこでは組頭(隊長)30両、平隊士10両とされていました。

1両はいまの金額にしてだいたい10万円ですので、隊長で300万円、平隊士でも100万円になります。

これは多すぎるだろうということで、はっきりとわかっていませんでした。

しかし、最近になって「新選組金談一件」という史料が出てきました!

それによれば、組頭(隊長)は10両、平隊士は2両と記されています。
つまり、隊長は月100万円、平隊士は20万円です!

妥当なものということで、最新研究としてこれくらいとされています。

近藤300万円、土方200万円!?

新選組金談一件には、局長や副長の月給については書かれていません。
どれくらいだったのでしょう?

永倉の「新選組顛末記」には、局長は月50両、副長は月40両とあります。
そうすると、近藤は500万円、土方は400万円です!?

ちょっと多い気がしますね。

新選組金談一件と新選組顛末記のバランスを見ると、恐らく月30~20両くらいだったのではないか、と言われています。

計算すると、近藤300万円、土方200万円くらい!
それでも凄いですね!

まとめ

いかがでしたか?

最終的に幕臣となる新選組。
いわば国家公務員、近藤は大臣クラス(公務員なら次官?)並みなので、組織やお給料もしっかりしていたんですね。

多摩の悪ガキたちが、幕臣となりこんな高給取りになるというのも、幕末ならではのストーリーであり、面白いところ!

メモ

○編成
 有名な「○番隊」という編成は、1865年のこと

○給料
 近藤は月給300万円、土方200万円、隊長100万円、平隊士20万円

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小学校の頃から歴史もの、特に新選組にハマり、史跡を巡り歩いてきたアラフォーです。 読書も趣味で、得たスキルや情報のアウトプットの意味も含めて、当ブログを運営します。 そのほか、狩猟免許(1種&罠)も持っていたりします。 Twitterもやっていますので、よろしくお願いします!

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