幕末・新選組

ちょっとBL!?新選組には美男五人衆がいた!男色の歴史も解説!

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江戸時代まで、「衆道」というものが結構流行っておりました。

男色、ですね。

実際、男所帯のなかでは、いろいろとあったようです。

それもあるのか、美男子は結構有名になったようですね。

ということで、新選組の美男子五人衆をご紹介!

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言い寄られた隊士もいたんや

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新選組ファン歴30年の天然パーマが、新選組についてやさしくお伝えします。どうやって新選組は生まれたのか。その時の時代背景は?これからファンになる方向けです。

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そもそも男色・衆道とは?

奈良・平安時代からあった

男色(だんしょく)は男性同士の性愛のこと。

まあBLですね、現代で言う。

もしくは、おっさんずラブ

これは奈良・平安時代からあったといわれています。

平安時代の名著に源氏物語がありますが、光源氏や在原業平たちの恋愛には美少年との恋もあったのです。

僧侶の文化から武家へ

そんな男色ですが、僧侶が中心でした。

なにせ僧侶にとって女性は許されないものです。

女犯(にょぼん)といって、僧侶が女犯すると島流しや晒し物にされたり、厳しい罰があったのですから。

ちなみに宗派にもよったり、かの一休さんのように妻帯するものもいたそうですけどね。

そんな人は一部であり、大多数は厳しい戒律のもとで修業をするということから、女性はNG!

なので、寺の小姓などを相手に男色に走っていきます。

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男色はOKなんだな

あの武将も!?

男色文化は、鎌倉・室町幕府と武家の社会になると武士たちに伝わっていきます。

武士たちの男色を、衆道(しゅうどう)と言います。

特に室町末期となると、いわゆる戦国時代。

戦場に女性を連れて行くわけにもいかないということから、武将たちが小姓を連れて行きました。

有名なのは織田信長に仕えた森蘭丸ですね。

特に可愛がられた小姓は出世も早かったので、妬みの対象にもなったとか。

ちなみに、明智軍記には蘭丸が信長から可愛がられていることをいいことに光秀を虐めたとあり、それが本能寺の変に繋がったとか。

大河・麒麟が来るには描かれないと思いますけどね。

それくらい、武将にとっては当たり前でした。

有名どころを一覧にしちゃいましょう。

戦国武将の有名カップリング

織田信長=森蘭丸

武田信玄=春日源助(高坂昌信?)

伊達政宗=片倉重長(片倉小十郎)

徳川家康=井伊直政

中には熱烈ラブレター(!?)も残っていますが、これば別に話せるくらい面白い。

本人たちにしてみれば、まさかそんなのが残っているとは・・・と思っているでしょうが。

それくらい当たり前のようになっていたのですね。

江戸時代には専用のお店も

江戸時代になると戦は無くなりますが、男色文化は変わらず残ります。

そして、専用のお店ができ、そこで専門に働く少年たちがでます。

それが、陰間(かげま)

平賀源内なども、男色家として有名でした。

当時は、「女性との恋愛よりも男性同士の恋愛は精神の繋がりであってレベルの高いもの」と思われていたそうで。

そのため、お客は庶民もいたようですが、商人の若旦那や役者など文化人が多かったようですね。

あと、やっぱり僧侶。

武家の人はそこまでだったようですが、衆道を憧れに思う人もいたようですね。

なんせ、陰間といっても人気者は吉原の花魁なみだったのですから、気軽に通ったりできませんし。

新選組・美男五人衆

子母澤寛「隊中美男五人衆」

さて、新選組のなかではどうだったのでしょうか。

明確に「誰と誰が」というのはありませんが、「〇〇が▢▢を口説いていた」的な話は結構あったようです。

それらを書いているのが、子母澤寛による新撰組三部作の三作目「新選組物語」にある隊中美男五人衆のところ。

そこに出てくる5人は、この人たち!

佐々木愛次郎(1845~1863)

「佐々木愛次郎は、大阪の錺(かざり)職人のせがれで、まだ芹沢鴨が生きていた文久三年春、新選組壬生屯営に入って来た。その時漸く十九、丈は余り高くないが、顔もからだも雪のように白く、それでいて、何処を指でついても、撥き返しそうに引締っていた」

と、新選組物語には書かれています。

永倉新八も「古今の美男子也」と語り残していますね。

この人は悲劇の人としても有名。

佐々木は八百屋の娘あぐりと恋仲でしたが、この娘に芹沢鴨も恋をし、挙句に寄越せと言ってきます。

それに困った佐々木に、佐伯又三郎が「仕方ないから脱走し、女と逃げるがよい」と耳打ちします。

それに感謝し駆け落ちした佐々木ですが、待ち伏せていた佐伯に惨殺されてしまい、そこであぐりも命を絶ったのでした。

実は佐伯は芹沢の子分なのですが、この行いに怒った芹沢に粛正されてしまいました。

しかし、最近の研究では、これは創作であり、佐々木は後も隊士として勤務していたとするものもあります。

楠小十郎(1847~1863)

芹沢派の隊士で、八月十八日の政変にも出撃していました。

芹沢鴨の暗殺事件の数日後に、長州のスパイであるとされ原田左之助に斬られてしまいました。

スパイの証拠はなかったようですが・・・。

当時17歳で、元服したばかりの美男で、ほっそりとした優男だったと言われています。

馬越三郎(1848~1887)

外出時には紫の着物に大きな模様の入った綿の袴をはいていたそうで、その姿は女性のようで絵にかいたような若武者だったそうです。

それに加えて剣の腕も確かだったとか。

そんな馬越三郎に恋をし執拗に口説いたのが、副長助勤で5番隊隊長にもなる武田観柳斎。

しかし馬越に男色の趣味はなく、あまりにしつこいので、土方に「なんとかしてほしい」と訴え出ます。

そののち、武田が薩摩藩邸に出入りしているところを馬越が見つけ密告。

武田は粛正されるが、仲間を売ったとされた馬越の身を案じた土方が、お金を渡して馬越を逃がしました。

というのが書かれていますが、これは創作

武田が粛正される3年ほど前には、すでに馬越三郎は隊を脱しています。

その理由は不明。

ただ、明治20年ごろに壬生を訪れた馬越三郎が「土方さんにいただいたお金をもとに商売をし、成功した。」と語っています。

これは八木為三郎氏が語っており、土方がお金を渡したのは本当のようです。

なお、八木氏は「その年になっても、まったく見惚れるような美男で、27、8にしか見えなかった。(当時40歳くらい)」とも言っています。

馬越三郎の美男ぶりも本当だったようですね。

山野八十八(1841~1910)

隊中美男五人衆のなかで唯一、函館まで戦い抜いた隊士。

「愛嬌のある可愛らしい顔で、さっぱりとしたなかなか気の利いた侍」と言われていました。

そんな山野は明治まで生き続け、京都の菊水小学校の用務員で退職をしますが、そこにこんな話があります。

壬生寺の裏に「やまと屋」という水茶屋があり、その娘がたいそう美人だったそうです。

隊士たちはみな、その娘を狙っていたのですが、娘がほれたのは山野。

二人の間には娘が生まれます。

その子が祇園の売れっ子芸者となり、父親である山野を探し出して楽隠居をさせました。

なお、剣術の腕も確かだったようですね!

馬詰柳太郎(1844~?)

新選組隊士で唯一、父親と共に所属をした親子隊士。

しかし気が弱いたちで馴染めなかったようでした。

そのせいか、近所の郷士である南部氏の娘のところに通いつめ、妊娠をさせてしまいます。

それが有名になり「南部の子守のおなかが膨れ、胤(種)は誰だろ、馬詰のせがれに聞いてみろ」という歌が隊内で流行ってしまいます。

隊に居づらくなった馬詰親子は、池田屋事件のどさくさに紛れて脱退したとされています。

まとめ:壬生の娘をほれぼれさせた美男子五人衆

美男子五人衆の生涯は様々。

しかし、男たちは壬生や周辺の女性たちを夢中にさせました。

それはまた、新選組が京都の治安維持を目的として、テロ行為を行う長州藩士などを取り締まる存在として親しまれていたということでもあります。

市中警備をする美男隊士を、遠巻きにキャッキャ言いつつ見る娘たち。

そんな想像をするのも楽しいですね!

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小学校の頃から歴史もの、特に新選組にハマり、史跡を巡り歩いてきたアラフォーです。 読書も趣味で、得たスキルや情報のアウトプットの意味も含めて、当ブログを運営します。 そのほか、狩猟免許(1種&罠)も持っていたりします。 Twitterもやっていますので、よろしくお願いします!

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