幕末・新選組

映画燃えよ剣 伊藤英明さん演じる芹沢鴨って?その人物と生涯

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新選組の大幹部であり、近藤らのライバルであり、超えるべき壁でもあった人物。

今回は芹沢鴨を紹介します!

新選組のファンであれば絶対に知っているのですが、一般的に知られる人物ではありません。

ですが、新選組を語る上では絶対に欠かすことのできない人物です!

こんな方におすすめ

  • 映画から新選組に入りたい方
  • 伊藤英明さんのファン
  • 新選組をこれから知っていきたい方

 

大河ドラマでは佐藤浩市さんが演じていましたね。

豪快で奔放な人と伝わりますが、私のイメージではプラスで色気もあったんだろうなぁと勝手に思っています。

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伊藤英明さんというのも合っているよね!

事前に知識を持っていれば、より映画を楽しめます!

芹沢鴨について学んでいきましょう!

ちなみに、時代背景や新選組の基礎知識は別記事で書いていますので、こちらもどうぞ!

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キャストは伊藤英明さん!

出典:燃えよ剣公式Facebook

プロフィールと主な出演作品

1975年8月3日生まれ
岐阜県出身

主演した「海猿」が大ヒットし、映画やドラマで人気となる。一方で「悪の教典」で殺人鬼の役を演じるなど幅広く活躍。
大河ドラマ「麒麟が来る」では斉藤道三の長男・斉藤義龍を演じている。

芹沢鴨役は、伊藤英明さんです!

大河の「麒麟が来る」でも斉藤義龍役で出ていますが、武士役も魅力的に演じることができる役者さんですね。

役者としても多数の賞を獲得されている実力派!

しかし、伊藤英明さんは男から見ても色気がすごいなぁと思います。

あとで書きますが、芹沢も借金の取り立てに来た女性を口説き落としたり、その前は遊女を連れ出したりしていますし、魅力的な人物だったのでしょうね。

芹沢鴨って、どんな人?

出自は不明・肖像画もなし

芹沢鴨の写真や肖像画はありません。

ネットで刀を支えにした武士の写真が出てきて、それを芹沢という方もいますが違うようです。

出自も正確には不明。

水戸藩の家臣の家系という説などありますが、それなりの家の出のようで今も芹沢という地名はあります。

その後、水戸藩領内の神官に。本名は下村嗣次。

なぜ本名でないかというと、捕まったことがあるから!

水戸天狗党に関わる

水戸藩には「天狗党」という過激な攘夷団体があり、その源流となる攘夷活動に関わっていたためです。

もともと水戸藩は、藩内にある学校を中心に攘夷の機運が強い土地柄。

御三家として弱腰の幕府が許せなかったのか、安政の大獄を行い開国を進めた大老井伊直弼を、水戸脱藩藩士が桜田門外の変で井伊を殺害したりも・・・。

芹沢は獄中で死を覚悟し、小指を噛み切って、血で辞世の句を詠みました・・・!

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ひえっ・・・!

雪霜に ほどよく色のさきがけて 散りても後に 匂う梅が香

「冬の雪霜のなかで早く咲いた梅が散っても香りが残るように、攘夷の魁として自分は死んだとしても、それは先の世に受け継がれるだろう」という感じでしょうか。

浪士組に参加し京都へ!

恩赦により釈放され、名を変えて清河八郎の浪士組に参加します。

道中では、手違いで芹沢の宿がなく(しかも担当は近藤)、、

申し訳ない!手違いで芹沢殿の宿が無く。すぐに準備しますので!

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ええんやで。ワシ焚火しながら野宿したかってん。気にせんとって(意訳)

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よっしゃ、じゃあ火ぃたこか!

といって宿場町の真ん中でデカい焚火したりするトラブルを起こしたのは有名な話・・・

そんなこんなで京都に到着。

新選組・筆頭局長に

清河と別れたのち、新選組となりますが、松平容保公への嘆願書は芹沢のツテで渡ったとも言われています。

そうすると、新選組の生みの親とも言えますね。

新選組は当初3人の局長がいましたが、筆頭で芹沢、そして近藤勇・新見錦(芹沢派)でした。

ここからも、かなり重きを置かれていたことがわかりますね。

京都や大阪で大暴れ

芹沢は酒を飲むと乱暴になったと言われます。そして、日々飲んでいたと・・・汗

そうして起こした事件の数々・・・。

①大阪鴻池から金品を強奪(羽織代になったとか。その意味でも生みの親?)
②大阪で酔って力士と喧嘩。死傷者多数・・・。
③大阪の豪商・大和屋の焼き討ち

特に③は大変な事件で、屋根の上で指揮をとっていた者がいたと記録があり、それが芹沢といわれています。

そうした大小の事件が積み重なったのか、お抱えの会津藩から近藤らに芹沢暗殺の命が下ったのです・・・。
(一説には討幕派に移ろうとしていたのを粛正されたとも)

八木邸で暗殺される

1863年の9月16日の深夜。

宴会の後、酔った芹沢は愛妾のお梅や側近の平山五郎たとともに八木邸で就寝。

寝静まったころ、八木邸に侵入した沖田・土方・原田・山南に襲われます。

沖田の一太刀目に傷を負いつつ反撃するも、土方に斬られ、隣の部屋に逃げるが机に躓き倒れたところに止めを刺されたと言われます。

芹沢らは長州藩の刺客に襲われたということで、盛大に葬式が行われました。

その後、明治になって永倉らの証言により粛清されたことがわかったのでした。

エピソード

とにかく豪胆・剣の腕も一流

剣の腕は神道無念流の免許皆伝でかなりの使い手だったと言われます。また弁も立ったようです。

また、常に「尽忠報国之士 芹沢鴨」と彫った、1キロもある鉄扇を振り回していたとか。

禁門の変では、あまりに新選組が早く来すぎて情報が来ておらず、会津藩兵に止められたが、その槍を鉄扇で叩き落として堂々と通ったとも言われます。

借金取りに来た女性を口説き落とす!

芹沢と一緒に八木邸で殺害されてしまったのが、お梅という芹沢の愛妾(彼女)です。

もともとは菱屋という商家の旦那の妾だったお梅。

芹沢の借金を取り立てるのに、旦那が「女性なら当たりが柔らかく払ってくれるのでは」とお梅を寄越したとされます。

芹沢はお梅に一目ぼれ?したのか、口説き落としたようです。
(一説に乱暴したとも言われますが、その後も何度も来ていることから違うかと)

それからは、ずっと一緒にいたようですね。

暗殺された際に、他にも遊女がいたようですが逃がされています。

お梅は関係が深すぎて、一緒に殺害されてしまったでしょう・・・。

所縁の地を訪ねよう

八木邸には跡が沢山

芹沢は1年も京都にいなかったのですが、八木邸には痕跡が残っています。

芹沢が襲われた八木邸の部屋の屋根には、血しぶきの跡がありました・・・。

刀傷や躓いた机も見られると思いますよ!

他の隊士が青春を過ごした地でもありますので、ぜひ訪ねてみましょう!

その裏には壬生寺がありますが、そこには芹沢のお墓もあります。

詳しくは下の記事を参考にしてください。

新選組の足跡を追う!ファン向けおすすめコース京都編(1日コース)

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芹沢はとても人間味があって魅力的だったのでしょう。

永倉も晩年に「国家的な損害だった」と言ったといわれます。

もともと神道無念流の同門で仲が良かったようですね。

ただ、それを除いても傑物だったのでしょう。

酒を飲まなければ・・・。

京都に行きたいですね!

道中は、読書で想いを馳せましょう!

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小学校の頃から歴史もの、特に新選組にハマり、史跡を巡り歩いてきたアラフォーです。 読書も趣味で、得たスキルや情報のアウトプットの意味も含めて、当ブログを運営します。 そのほか、狩猟免許(1種&罠)も持っていたりします。 Twitterもやっていますので、よろしくお願いします!

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