目次
新選組発祥の地京都!隊士ゆかりの地を訪ねよう!
まだまだ遠出ができない環境ですが、また以前のようにいけることを願って・・・。
今回は、新選組が気になったら行きたい、おすすめコースをご提案!
まずは、半日で回れるコースをご紹介します!
最近、新選組に興味が出てきたので、とりあえず知ってみたい!
そんなに時間はないけれど・・・近くに行くので、少しだけ寄りたい!
メインではないけれど、京都観光のプラスαにしたい。
そんなライトな感じで回れるように設定しています。
現地に行くだけで、彼らの息吹を感じられますよ!
まずは、ここから新選組の世界に入ってもらえたらと思います。
さあ、新選組ゆかりの地を訪ねよう!
島原・壬生コース(半日コース)
ルート
JR京都駅⇒島原大門⇒輪違屋・角屋⇒新徳禅寺⇒壬生寺・八木邸・前川邸⇒光縁寺⇒阪急大宮駅
詳しい行き方
JR京都駅
⇩ 市営バス【6】で島原口へ(7分)、その後徒歩すぐ
島原大門
⇩ 徒歩2分
輪違屋・角屋
⇩ 徒歩20分(約1㎞)
新徳禅寺
⇩ 徒歩すぐ
壬生寺・八木邸・前川邸
⇩ 徒歩5分(約300m)
光縁寺
⇩ 徒歩すぐ
阪急大宮駅
各ポイント解説
島原大門・輪違屋・角屋

新選組隊士を癒したのが、島原でした。
その当時を感じさせる建物が、島原大門・輪違屋・角屋です。

輪違屋は今も営業している置屋です。置屋とは、太夫や芸妓を抱えるお店のこと。
ここには近藤勇が書いた屏風がありますが、中に入ることは出来ず、外観しか見ることはできません。伝統と文化、当時の空気を感じましょう!
角屋は揚屋といわれる業態で、芸妓などを抱えない、料亭のようなものです。
新選組の隊士もよく利用したと言われており、酔っ払ってつけたという刀傷が残っています。また、芹沢鴨が大暴れした挙句に営業停止を申し付けたお店でもありますね。
角屋は「角屋もてなし美術館」として一般公開もされています。
新徳禅寺

壬生に到着した浪士組の面々。その夜、清河八郎に集められたのがこの新徳禅寺です。
清河は浪士組の発案者であり、率いてきた責任者であるわけですが、ここで浪士組結成の本当の狙いを語ります。
「浪士組の真の目的は攘夷である。天皇の兵として働き、討幕を果たす」という内容でした。多くの浪士は清河と共に江戸に戻りますが、「将軍の警護のためにきたのであり、義に反する」として近藤ら試衛館一派と芹沢一派が京都に残ることを決意。
これが後に新選組となる。
その意味で、ここ新徳禅寺が新選組の発祥の地と言えるでしょう!
壬生寺

壬生寺は八木邸の裏にあります。
新選組が訓練を行った記録があり、屋根などを破損するため寺から嘆願書も出されたそうです。
また、沖田総司が近所の子供たちを集めて境内でよく遊んでいたとも言われています。
境内には、近藤の像や三橋美智也が歌った「あゝ、新選組」の歌碑があります。

また、暗殺された芹沢鴨と平山五郎のお墓も、この壬生寺にありますよ。
こちらもお参りしてみましょう。
八木邸・前川邸
京都に残ることになった近藤たちが暮らしたのが、八木邸・前川邸です。
後の新選組屯所ですが、この時はまだ浪人が居候しているだけ。
とても貧乏をしていたようですね。
このルートでも一番の見どころです!ここだけは行って欲しい!

前川邸は今も住居として使われているため公開はされていませんが、池田屋事件が発覚する発端となった古高俊太郎を拷問した倉は現存しています。
外観は当時を思わせます。切腹をする直前、山南敬助と明里は最後にここで顔を合わせたのでしょうか・・・。

八木邸は一般公開されていますよ!
八木邸:公開は9~17時、ガイド・屯所餅付きで大人1,100円。
八木邸には、刀傷や当時のものがいっぱい!
八木邸には当時を忍ばせる多くのものが残っています。
最たるものは、芹沢暗殺の際に付いたと言われる刀傷。

そして、芹沢がつまずいたという、為三郎の勉強机。

ガイドの方に教えていただいたのですが、暗殺のあった寝室の天井には血痕が・・・。
お梅のものか、平山五郎のものか・・・。
光縁寺
光縁寺には、隊士たちのお墓があります。
代表的なものは、山南敬助と松原忠司でしょう。

また、沖田家縁者の墓碑もあります。沖田総司の恋人のお墓ともいわれていますが、真相はわかりません。医者の娘との恋が伝えられていますが、その人なのか・・・。
興味が深まったら、もっと旅しよう!
京都半日コースは如何でしたか?
新選組の跡を追う第一歩となればと思い、書きました。
新選組に興味を持ち始めた方にぴったりだと思います。
ここから、新選組の世界に入ってもらえたら嬉しいです。
1日コース、1泊コースもまた提案しますので、ステップアップにも!
書いていて、行きたくなるやつ・・・!