幕末・新選組

【新選組生みの親!?】幕末維新の火付け役!策士・清河八郎

清河八郎

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新選組を語る上で欠かせない人物は大勢いますが、その中で必ず最初に紹介される人物がいます。

それが清河八郎

このブログでも何度も出てきています。

なのに、ちゃんと説明していない・・・笑

ということで、今回は清河八郎についてです!

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新選組の生みの親とも言えます!

新選組の基礎知識はこちらから

清河八郎がいなければ、新選組は生まれなかった

清河八郎

清河八郎肖像(山形県HPより)

浪士組の組織を提言

文久3年の正月、「将軍・徳川家茂の警護のため」という目的で、浪士組の募集が開始されました。

家茂は公武合体のために京都へ向かうのですが、反対派も多く危険があったのです。

うまくいけば幕臣に取り入れられる可能性から、近藤や土方らも応募します。

この浪士組を幕府に提言したのが、清河八郎だったのです!

攘夷派の浪士に手を焼いていた幕府は、将軍の警護という名目で浪人たちを京都に送り込む計画に乗ったのでした。

浪士組を使って・・・世紀の大計画!

総勢で230名を超えた浪士組は、2月8日に江戸・小石川を出発し京都へ向かいます。

本庄宿での芹沢と近藤のイザコザも、この道中ですね。

そのあたりはこちらで。

映画燃えよ剣 伊藤英明さん演じる芹沢鴨って?その人物と生涯

新選組ファン歴30年の天然パーマが、芹沢鴨についてお伝えします。映画燃えよ剣では、伊藤英明が演じる芹沢鴨。その人物と生涯とは!?

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そんなこともありながら、一行は2月23日に京都へ入ります。

一息ついたのもつかの間。

その夜に本部である新徳寺に集められた浪士たち。

ここで歴史に残る大事件が起きたのでした!

残留組が新選組へ・・・

新徳寺に集まった浪士たちに向けて、清河は驚くべきことを言い始めます。

ポイント

浪士組の目的が、将軍の警護のためというのは表向きのことである!

真の目的は、朝廷のために外国人を打ち払う尊王攘夷の魁になることである!

朝廷からの許しが出れば、横浜に戻り外国人相手に攘夷活動を行うのだ!

これには、浪士たちもびっくり。

しかし、清河の巧みな弁舌に皆納得をしていきます。

一部を除いて。

幕府の命で集まったのだから、将軍家から命令があるまで京都からは動くべきでない!

近藤たち試衛館一派と芹沢鴨の一派です。

彼らだけを残し、浪士組は江戸へと向かいます。

そして、残留組が新選組へと繋がっていくのです。

自分が攘夷のために作った浪士組の一部が、幕府を支える一番の部隊になるとは・・・。

さすがの清河も想像できなかったのではないでしょうか。

清河八郎って、どんな人?

東の清河八郎・西の吉田松陰

清河が同士の山岡鉄舟に向けて書いた手紙にあった言葉。

「予は回天の一番乗りを為さんとするものなり」

時代を変える先駆けに俺はなる!という思いを書いたものです。

口だけでなく、その実力も備えていたのが清河八郎という男でした。

東の清河八郎、西の吉田松陰と呼ばれるほどです。

それは、吉田松陰の松下村塾と同じような集まりを清河も持っていたからです。

その名も「虎尾(こび)の会

虎尾をふむという易経の一説から来ているともいわれますが、危険なことを為すという意味通り、癖のある人物が集まります。

代表的な人物では山岡鉄舟や松岡万をはじめ、多くの薩摩藩士など尊王攘夷の思想を持つ人物を集めていました。

そんななか、清河は横浜の外国人居留地を襲撃する計画を進めていたのです。

密偵を放っていた幕府ですが、丁度良い事件(幕府の罠とも言われる)が起こります。

尊攘派の会合の帰り道、日本橋でぶつかってきた町人を斬ってしまったのです。

お尋ね者となった清河は逃走し、江戸を脱出したのでした。

旅行家の一面も!

清河は北から南へと潜伏しながら遊説をしてまわり、尊王攘夷の機運を高めていきます。

旅慣れた感じですが、まさに旅は初めてではありませんでした。

19歳で家出をして江戸に出てきてから、5回にわたって各地を回った経験がありました。

それこそ長崎・出島のオランダ商館から蝦夷地まで!

確かに維新志士には各地を転々とした人もいますが、基本は自分の藩と江戸や京都くらい。

一般の町民であれば、一生のうちで伊勢やどこかにいくかどうか。

実家が豪商でお金があったこともありますが、もし尊王攘夷の思想に関わらなければ、旅行家として有名になったかもしれません。

寺田屋騒動を引き起こす!

さて、江戸を出て半年後に京都へ入った清河は、伏見で討幕の挙兵を計画します。

そのために使おうと考えたのが、薩摩藩主の父であり尊王派の実力者である島津久光

清河は九州まで遊説に向かっています。

しかし、島津久光は公武合体の推進派であり討幕の意思はありませんでした。

計画は頓挫しますが、収まらなかった薩摩藩の過激派は他藩の尊王派とも共謀して武装蜂起を目指します。

久光は説得を行いますが止められなかったため、剣の腕がたつ者を伏見へ送ります。

そして起こったのが寺田屋騒動

過激派藩士を、同じ薩摩藩の藩士が粛正するという事件でした。

ある意味で、清河が引き起こしたとも言えますね。

最後は暗殺される・・・

維新の火を各地でつけてまわり、浪士組を使って自分が一番の炎となろうとした清河。

しかし、幕府はそれを許しませんでした。

浪士組を引き連れて江戸に戻って少しした4月13日。

麻布一ノ橋付近で、京都見廻り組の佐々木只三郎に暗殺されてしまったのでした。

享年34歳。

暗殺される日の朝に詠んだ歌が、辞世の句となりました。

魁て またさきがけん 死出の山 迷ひはせまじ 皇の道

清河八郎のゆかりの地を訪ねよう

京都・新徳寺

清川八郎が一世一代の策を実現した場である、新徳寺です。

公開はされていませんので外から眺めるのみですが、一件の価値あり!

維新回天の魁になった男

いかがでしたか?

新選組を語る上で欠かせない人物の一人、清河八郎。

また、京都という王城に目を付け、維新の舞台としたことも清河に拠るところが大きいと言われます。

維新回天の魁となった男、清河八郎。

新選組好きなら、ぜひ知ってもらいたい人物です!

関連書籍

小説

司馬遼太郎「奇妙なり八郎」(短編集に収められています。)

藤沢周平「回天の門」

漫画

手塚治虫「陽だまりの木」

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小学校の頃から歴史もの、特に新選組にハマり、史跡を巡り歩いてきたアラフォーです。 読書も趣味で、得たスキルや情報のアウトプットの意味も含めて、当ブログを運営します。 そのほか、狩猟免許(1種&罠)も持っていたりします。 Twitterもやっていますので、よろしくお願いします!

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